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Writer's pictureHiroko

焦らず 悩みすぎず 一歩ずつ


ここ数年は、以前に増して、生徒様より様々なお悩みやご事情を話して頂けることが増えました。

◇躾をきちんとしてもらえなかった ◇両親ともお箸の持ち方が違うので教えてもらえなかった

◇ワイングラス、ナイフ、お箸が家にありません

◇こどもの食事の躾に困っています

これらは決して珍しいお声ではなく、同じ悩みをお持ちの方が多くいらっしゃいます


私自身の話をすると、幼少期は祖母と二人で生活していました。祖父を事故で亡くした祖母が独りでいるのを可哀想に思い、2歳当時の私は「妹がいるから両親は寂しくない」と考え、祖母といることを選択しました。

けれど、小学校に上がる前に両親の元に連れ戻され、それからはものすごい躾の日々でした。怒られてばかりの夕食の時間は、本当に恐くて恐くて「恐かった」以外の記憶がないほどです。

後に知ったことですが、両親の年齢が比較的若かったこともあり、小学校に上がった私に恥ずかしい思いをさせては可哀想と、当時はとにかく躾をしなくてはと必死だったそうです。 もちろん、それを有り難かったなぁ~と思えるようになったのは大人になってのことです。


やがて時は進み、講師となって週1~2回ペースで実食レッスンをするようになり気付いたことがあります。

それは、自分も食事をしながら人に教えるというのは、ものすごく難しく技術が要るということでした。食事は手元の小さな小さな動きの差を気づかなければなりませんし、お箸やフォークなど道具の持ち方は、一見合っていても、力点や角度が違っているということが多々あるのです。

「持ちやすいように変えてしまう」というお悩みは、ほとんどの場合が持ち位置が微妙に違う、もしくは、そのせいで必要な筋力が働きにくくなっているのかもしれません。

お食事の仕方は、一瞬の動きの違和感を見逃さないようにしないと気づかないことばかりで直してあげることは難しく、対面や横についても常に死角だらけです。ましてや、自分の食事もあっては、ずっと目で追い続けることは不可能ですし、逆にずっと凝視し続けてはプレッシャーにしかなりません。

講師としての私も視界の片隅に入ってくる不自然な気配を察知して判断しています。(この域に達するには、かなり年月がかかりました。)

そう思うと、幼少時代、食事の時間に両親が私をじーっと睨んでいた(凝視していた)ことも、神経を尖らせていたことも全て仕方のなかったことだと理解出来るようになりました。


そして、現代の忙しい親御様が教えることが困難なことも、決して躾に手を抜いているのではなく、「単純に難しくて大変なこと」なのだと感じます。

私も「お箸の持ち方」を例に挙げると、多くのマナーの先生やお箸屋さんの太鼓判を頂くほど形は出来ていましたが、母に指摘され続けた微妙な違和感は大人になってから直しています。(母も「違う」はわかっても「直し方」はわからなかったのです。) 躾をしてもらえなかったと感じていらっしゃる皆様も、きっと親御様は一生懸命にされていたのだと思います。ただ、そのぐらい難しいことなのです。

たとえ、仮に身に付けることができていなかったとしても、大人は自分で直すことを選べます。 握り箸から常に箸置きを使うまでに成長された生徒様もいらっしゃいますし、ご自宅にないからとグラスやナイフをわざわざ購入して、練習に励まれる生徒様も大勢いらっしゃいます。

また同時に、現在、躾に悩まれている親御様も「簡単でないことを頑張っているんだ」「自分だけの悩みでないんだ」と知っていただけたら…。悩むお気持ちが少しでも軽くなって「焦らず一歩ずつ頑張ろう」と思っていただけたら嬉しく思います。


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